基本的自尊感情を育む
以前、このブログで、子育てについて感じていることを書きました。
子どもとの関係も、同じように「子どものために」を捨てることから始まるのだと思う。
「今日は、子どもに振り回されよう」と腹をくくった時は、案外と子どもは素直になる。おそらく、そのときは子どもの言葉、表情、動きをしっかり見て、言葉を返しているのだと思う。心も乱れていないんだろう。だから、子どもは変わっていない。自分が変わっただけなんだ。
この精神状態を、どんな場面でも継続してもてるかどうか。これが大事なのではないかと思う。
つい、子どもをコントロールするような言葉、「だめ」「後で」「そうじゃなくて」。余裕のないまま、否定の言葉を沢山なげかけ、子どもの表情や言葉、動きなどに注意を払っていませんでした。
また、いつも読ませていただいているブログに、最近こういう興味深い記事がありました。引用します。
社会的自尊感情は「褒められることで自分の中で膨らみ、褒めてくれる人がいなくなればしぼむもの」、基本的自尊感情は「自分の中で培われたもので周りから影響されることなく維持されるもの」として紹介されていました。
家庭の中で子どもに対して育ててあげられるのは後者の「基本的自尊感情」
子どもたちが社会の中で自信を持って問題にぶつかりながら生きていくための基礎となる自尊感情をどうやって育てていくか、番組の中でその方法の一つとして「共通経験をすること」が挙げられていました。たとえば「一緒にテレビを観る」
同じ番組を一緒に観て、同じように笑ったり、それについて話したりすること。
家族で同じ経験をして「自分が感じたこの感情に共感を得られる」という経験を積み重ねること、それを通して、自分は自分で良いんだという基本的自尊感情が培われていくのだそうです。
他にも、家族で自然に触れる、一緒にご飯を食べる、家族でドライブをする…
要は「家族と一緒の経験を積む」ということ。
今、子育てで一番気になっていることは、子どもに与えてやりたいと考えている自尊心が、しつけと称して子どもをコントロールすることで損なわれてしまうんじゃないかという不安です。その不安により、自分の中の基準がぶれてしまって、結果的に甘やかせに繋がってしまっていることです。
しかし、基本的自尊感情は、褒められて育つ社会的自尊感情とは別のものである。しつけを緩くするからといって、基本的自尊感情が育つものではないということが分かりました。
しつけや周囲の環境、人との関わりなどで生じる状況を子どもと自分が「共通経験」すること、対峙ではなく同じ目線で一緒に見る、それにより基本的自尊感情が育まれるのだと思います。
だから、しつけや行動をコントロールしなければいけない時はすればいい。その時の子どもの気持ち(嫌だ、悲しい)に集中し、共有すればいい。
更に、全ての行動をコントロールする必要はない。気持ちを大きくもって、子どもに振り回されようと思って行動したとしても、結果的に子どもは大きく道を踏み外さない。なぜなら、子どもに振り回されようと思うことは、子どもに寄り添おうとすることだから。
こう考えると、気分がすごく楽になりました。
何が正しいのか、正しくないのかが大切なのではなく、同じ場を共有することが子どもにとってまず一番に大切なこと。しつけはその次だということが理解できたので。
もう少しリラックスして、子育てに向かい合えそうです。