Design of everyday life(自分らしい生活をデザイン)

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意識する行動、無意識の行動

 深く考えて行動していると思っていても、翌日には昨日何をしていたのか明確に覚えていない。昨日の昼ご飯に何を食べたのかさえ覚えていないということがおこります。
 その時々に深く考えて行動しているのならもう少しぐらい覚えていても良さそうですが、そんなことはありません。
 これは単純に私の記憶力が悪いとかそういった事なのでしょうか?

 

 車の運転を例にとると、事故がないように注意深く運転したとしても、自分の行動、ハンドルの動きとか、アクセルやブレーキの踏み具合とかミラーをいつどのように見ていたかなど全てに注意を向けている訳ではありません。だから覚えていないわけです。慣れた道などでは更にそうだと思います。極端な話、通った道も覚えていないかもしれません。ということは、自分の行動のある一定の部分は無意識に行っているといえそうです。

自動的過程、統制的過程、認知資源

 人が注意を向けて、思考する能力には限界があります。全ての行動を起こす際に注意を向けて思考していたら、すぐにキャパシティーオーバーになってしまいます。

 だから、手順を知っていて危険なく行える行動については、注意を向けたり思考することなく無意識に行っています。これを自動的過程(システム1)といいます。逆に注意を向け思考能力を使いじっくり考えることを、統制的過程(システム2)といいます。この統制過程を使い思考する時に使う資源のことを認知資源と呼びます。

 この認知資源には限りがあることが知られており、例えば複数のことを同時に行うと、その資源を全て使うことができないのでクオリティが下がると言われています。

 この自動的過程(システム1)、統制的過程(システム2)については、ノーベル経済学賞を受けたダニエル・カーネマンが書いた「ファスト&スロー」で詳しく述べられています。本書では、システム1を使うことによるバイアス(偏り)やヒューリスティック(簡易方略)について述べており、必ずしも合理的でない人間の思考と行動について説明しています。 

 私は、自動的過程(システム1)は人の認知資源節約に大きく貢献しており、バイアスなど性質を十分理解した上で適切に使えば、生活の質の向上につながると考えます。


環境によって、自動過程を使うか統制過程を使うかが変わる。

 先に述べたように、行動する際に以前に経験していて手順も分かっており、危険がないとか、反対に全く先の予想がつかないなど、状況によって自動的過程と統制的過程を使うかが変わってきます。

 私は、性格上先行きをとても不安に感じてしまうので、今後のスケジュールや人との話などをあれこれ考えてしまいがちです。
 それを繰り返していると当日になる前に疲れてしまいます。他のことが全く手に付かなくなることもあります。そして現時点で本当に注意しておかないといけない持参物とか、今面と向かっている人に対する配慮が欠けてしまったりします。
 それは統制的過程を過剰に使い、認知資源が不足がちになっているといえます。また必要な場面で統制的過程を使えていないともいえます。
 これに対して早めに準備をしておく、当日のシミュレーションをして自然に行動できるようにしておく、一定程度やったら「後はこれだけしたから大丈夫」と考え、それ以降は詳しく思いださないように心がけています。
 つまり、あれこれ考えることを少なくするための事前準備をすることで、当日は自動過程が使えるような状態にします。
 そうすることで当日までの不安感を減らし、不必要に統制過程を使わないようにします。それが認知資源の節約にもつながり、もっと配慮しなければいけないことや、深く考えないといけないことに認知資源を投入できるのです。

 

 まとめ

 不安から認知資源を過剰に使ってしまうというのは性格の影響が大きく、その程度は人それぞれだと思います。
 しかし認知資源に限りがあり、適切な場所で使えていないということは多くの人にとっても問題だと思います。認知資源をどこで使うかは、性格だけでなくその時々の状況にも左右されます。自分で意識して切り替えすることは難しいのです。
 だから状況(環境)に働きかけることで、結果的に認知資源を使う場面をコントロールすることが、成果を上げる一助になると思います。