実は考えてこなかった!?
これまで沢山のことを「考えて」きたはずなのに、その「考え」を書けない、話せないという状態が続いています。
その中で、ブログで思い当たる記事に出会いました。
『漠然と頭のなかにあるだけでは、考えを掴み取ることができませんし、一度考えたくらいでも、それを言語化し、話すことはまだ難しい。』
ブログで「書く」のを続けてたからこそ、「話す」ができるようになった
〜 iPhoneと本と数学となんやかんやと
実は「考えて」いなかった。
自分が考えていたというのは、実は「漠然とした思いつき・アイデア」のレベルだったようです。
過去によく言われてきた言葉に、「人に説明出来るようになって始めて、分かったといえる」があります。
分かった気になっているだけで、本当に分かってはいない。人に説明出来る、言語化出来て始めて分かったといえるということです。
何かの記事や文章を読んで、反射的に「これは〜だ」と思うのですが、人に説明すると全然説明出来ない。説明するための前提となる知識や論理の流れが出来ていない。結論もしくはその周辺の部分だけがアイデアとして浮かんでいるだけあり、全く不完全なのです。
そのために、結論に行く前の前提知識の部分でつまってしまったり、論理が固まっていないので説明が分かりにくいということが多々あります。
本当に「考える」というのは、「言語化」するということ。「言語化」するということは、ヌケやモレを廃した論理を構成して説明出来る状態にしておくということ。
そして、考えているかどうかを確認するには、人に話してみること。自分で言葉にしてみること。言葉に出してみて自分の中から言葉を離してみると、客観的になれて、いろいろな不備が見えてきます。
アイデアを言語化するというプロセスを経て始めて外に出せるレベルのものになる。それが「考えた」ということです。
結局は沢山考えたと言っても、言語化するプロセスを経ていないので、外に出せるレベルにはなっていなかったということだと実感しました。
先日書いた、アイデアメモから情報カードへのプロセスも同様だと感じます。アイデアを言語化するプロセスを経て、考えた結果としての情報カードが生まれるんだと思います。
だから、これまではアイデアは沢山生まれて来ていたかもしれませんが、それを言語化し蓄積してこなかったのです。その意味ではずいぶんもったいないことをしたものです。
ブログには、こうも書かれています。
『「書く」という作業を通して何度も習慣化について考えてきたことで、「話す」こともできるようになってきたな、という感覚があります。』
本当の意味での「考える」をしっかりやることは、言語化をしっかりやるということなので、表現は文字でも、話すでもどちらでもOKということなのでしょう。
やはり、アイデアを言語化するという習慣をどれだけ日常に取り入れられるかが鍵ですね。
今の習慣化プロセスの中に、言語化を上手く組み込んでいきたいと思います。